ノマドランド
いま話題の『ノマドランド』観ました。
労働者を切り捨てるグローバル資本を撃つ!という感じかと思いきやそうではなかったですね。
どちらかというとノマドという現象に定位して、そこから見えてくるものを描き出す、というような感じです。
ノマドな人たちは、もちろん経済的に困窮していて短期間の職を転々とせざるを得ないのですが、じつは望めば定住できるような機会もときどき訪れます。
だがそれでも、(あえて、というべきか)ノマドでいることを選択するわけです。
ここがミソではないでしょうか。
ノマドを続けることの裏には、ただ単に経済的な理由では語りきれない、ノマド的なものへの憧憬とでもいうべきものもあるのではないでしょうか?
しかし単身で、その場その場でネットワークを構築するのは辛いでしょうし(とはいえノマドたちは同じような行動パターンをしているので再び合うこともあるようですが)、キャンピングカーの中では落ち着いて食事や排泄をすることもできないし、とてもたいへんそうにみえました。
逆にいえば、定住生活こそが質の高い人間関係をつくったり、リラックスして食事や排泄をすることを可能にしているといえましょう。
『ノマドランド』は、ノマドな生き方を描くことでかえって現代における定住生活の本質的な部分を浮かび上がらせているわけです。
そういう意味ではとんでもなく射程の広い作品といえるのではないでしょうか。